2022年2月17日、厚沢部の本町にある見出しの笠松の太い枝が、雪の重みに耐えきれず折れてしまいました。 見出しの笠松は昭和48年3月17日に指定された北海道記念保護樹木です。
近づいてみると、太い枝が折れているのがわかりました。
かなり高いところから折れたようで、人や道路に損害がなかったのが幸いです。
見出しの笠松
見出しの笠松は、樹齢150年を超えると言われるマツの老木です。 忠魂碑境内の一角にあり、脇をとおる細い道路は、かつて江差と函館を結んだ旧街道の「鶉山道」です。 見出しの笠松は鶉山道の入り口の目印として、また、休息の場所として利用されたと言われています。
明治元年に松前藩主徳広が館城へ入城する際にも、鶉山道を利用し、そのときには、近隣の住民がこの松のところで藩主を出迎えたそうです。 明治19年に描かれた『鶉山道図鑑』(第38号)には、ちょうど見出しの笠松の付近から描かれたと思われる図があります。 まだ、俄虫市街地が形成されておらず、画面右のほうに人家が数軒見えるだけの寂しい風景です。
藩主徳広が通った鶉山道もこのような風景だったのでしょう。 藩主が見出しの笠松の下を通って館城へ向かった様子は、次のように伝えられています(『厚沢部町史桜鳥』1巻,p428)。
殿様が俄虫の私場をわたって、かごで太鼓山を登っていくのを見ました。四つのときで、きかん坊であったし、道端で部落の人たちがみんな手をついて平伏しているのに、ボーッと立っていたら、母がわたしの頭をおさえて、頭をさげるんだよと、むりにさげさせられたことを覚えていますね