厚沢部文化遺産調査プロジェクト

北海道厚沢部町の文化遺産や歴史、自然について紹介します。

2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

俄虫鉱山トロッコ軌道

厚沢部町上里には意養川を挟んで西側に俄虫鉱山、東側に意養鉱山があります。意養鉱山は火薬庫跡をはじめ、比較的鉱山遺構がわかりやすく残されていますが、俄虫鉱山は明瞭な遺構が確認できませんでした。今回は、字滝野にお住まいのKさんから「子どもの頃に…

春のレク森散策

例年よりも圧倒的に早い雪解けのため、北海道教育大学旭川校斎藤和範先生とレク森散策をしました。 フルスクリーン表示 まだ春も早いので誰も入林していないようです。 教育林入り口 森林展示館から見本林へ上がったところで「あれ?アカナラ?」。見本林の…

ぐにゃりと曲がった富栄集落

厚沢部町の富栄集落は、上空からみると大きく湾曲した道路に沿って広がります。ぐにゃりと曲がった富栄集落の謎に挑戦します。 富栄集落のぐにゃり ぐにゃりと曲がった富栄集落 富栄集落の草分けは、延宝2年(1674)に津軽から渡ってきた喜三郎だといわれて…

館城の御殿

今は何も残されていない館城ですが、地面にはかつて建物が建てられていた痕跡が残っています。平成21年の調査では「本丸」、「役所」、「武士部屋」と呼ばれる場所を調査し、多くの礎石を発見しました。実は、館城の礎石は昭和39年にも調査がなされています…

文献にみる館城戦争

明治元年に厚沢部町字城丘に築城された館城は、明治元年9月初旬に着工し、同年11月15日に旧幕府軍松岡四郎次郎率いる幕府一聯隊の攻撃を受け落城します。文献資料に残された館城戦争の推移を示します。

厚沢部町「鶉」地名の謎にせまる

厚沢部町の鶉という地名は日本語の小鳥の名前がついている可愛らしい地名です。鶉川という川があるので、「鶉川の近くには鳥のウズラがたくさんいたんですか?」と聞かれることも多いものです。鳥のウズラが多く生息しているイメージがないので、ちょっと返…

檜山農事試作場とあっさぶ市街地の成り立ち

現在の厚沢部町市街地は、かつての檜山農事試作場跡地に広がっています。この試作場で行われた馬鈴薯の栽培試験の結果、メークインが檜山の推奨品種となり、現在の厚沢部農業の中心とも言えるメークイン栽培につながっていきます。 昭和37年の農事試作場閉鎖…