厚沢部文化遺産調査プロジェクト

北海道厚沢部町の文化遺産や歴史、自然について紹介します。

2023-01-01から1年間の記事一覧

忠魂碑と戦争

厚沢部小学校6年生を対象に、戦争と厚沢部との関わりについてお話をさせていただきました。 忠魂碑 厚沢部町本町の旧道沿いにある忠魂碑は大正8年に建立されました。題字は陸軍中将(当時)の田中義一です。田中は在郷軍人会の生みの親といわれる人物です。 …

厚沢部町最古の草分け伝承〜上俄虫〜

上俄虫の草分け伝承 明治19年に北海道庁の青江秀が全道巡検を行った際、事前に各戸長役場に諮問した項目に対する回答書です。有力者、将来希望する事業、地誌などの諮問項目ごとにまとめられている。俄虫村については次の回答があります。 俄虫村 該村は天正…

旧地名が多く残る上の山

上の山は厚沢部町市街地から厚沢部川を1kmほど遡ったところに位置し、厚沢部川の右岸と左岸に広がる字名です。 山が迫り、居住スペースが少ないため、大正9年発行の5万分1地形図でも建物はほとんどみえません。 大正9年発行5万分1地形図 字上の山の旧字名 居…

SAGA GISを活用した水文環境の分析〜史跡館城跡の事例〜

北海道厚沢部町では史跡館城跡の整備計画作成を進めています。整備計画では遺構だけではなく、植生や社会的な環境、給排水の環境も調査し、整備のアセスメントを行うことが求められています。特に給排水の構造を無視した史跡整備を行うと、遺構の保存や活用…

大谷農場と寺田省帰〜木間内と農場開放〜

厚沢部町字木間内はアイヌ語の「キムン・オ・ナイ」(山奥に・ある・川)が語源と考えられます。現在の社の山川がかつては「キマナイ」と呼ばれており、これが木間内の語源と考えられます。この経緯は字名に昇格した「社の山」地名で詳述しています。 鶉川の…

古くて新しいまち「新町」

厚沢部町新町は、役場、消防、図書館・体育館、小中学校がなどの公共施設が密集する厚沢部町の中心地です。一方、旧字名は赤沼、下俄虫、女ノ越、丸山の4つしかありません。しかも大半は下俄虫です。新町はほとんどすべての領域が「下俄虫」となる地名的変化…