厚沢部文化遺産調査プロジェクト

北海道厚沢部町の文化遺産や歴史、自然について紹介します。

館城の御殿

今は何も残されていない館城ですが、地面にはかつて建物が建てられていた痕跡が残っています。平成21年の調査では「本丸」、「役所」、「武士部屋」と呼ばれる場所を調査し、多くの礎石を発見しました。実は、館城の礎石は昭和39年にも調査がなされていますが、礎石と合致する絵図面などは残されていないと考えられていました。しかし、正確な測量による比較の結果、厚沢部町郷土資料館で所蔵している『館築城図』(増田家文書)に記載された建物と部分的によく一致することがわかりました。

館城の御殿と見つかった礎石

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発見された館城の礎石

館城の礎石の調査は平成21年に行われました。発掘調査ではなく、地表面で礎石を検出し、測量する作業を行いました。礎石の多くは良好な状態で残されており、館城内の重要な建物の跡と考えられました。写真奥の方には、建物に隣接して井戸跡がみえます。こうした井戸の位置も『館築城図』の信憑性を判断する重要な手がかりとなりました。

苦肉の策の図面分離

館城の御殿を描いたと思われる『館築城図』は、残念ながらそのままでは現地の礎石配置とは一致しません。現地の礎石と矛盾なく合致させるために、苦肉の策として図面を2つに2つに分割しなければなりませんでした。

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分割された『館築城圖』

右側の建物1は殿様とその家族が暮らす「奥御殿」、左側の「建物2」は、殿様が日常的な政務を行う「常御殿」に相当する建物と考えられます。2つの建物は江戸時代のお城には必ずある中心的な建物です。つまり、館城が松前藩の正式なお城として建てられたことを示す証拠となったのです。

また、一部二階建ての構造だったこともわかり、館城の立体的な姿を知る貴重な情報が得られました。

館城とお殿様の生活

藩主徳広は館城でわずか10日間ほどしか生活しなかったと考えられています。しかし、館城には藩主の公私を支える部屋が計画されていました。「館築城圖」にはさまざまな矛盾も見られるのですが、松前藩が藩主のために必要と考えた施設を理解するための貴重な資料です。

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館城奥御殿藩主プライベート空間

上の図は、『築城圖』右側の建物の南端で、藩主のプライベート空間と考えられます。廊下から「奥様御居間」の脇をとおり、「御佛間」、「内縁」を経て「御寝所・御居間」に入ります。「内縁」の奥には「御湯殿」と「御厠」があり、左手には書斎があります。内縁から「御厠通」に入って右には二階へ登る階段が設けられています。

二階には書斎を含む2部屋があります。ただし、二階の左下隅は一階よりも張り出しています。「せがい造り」のような構造も考えられないことはないのですが、この一階部分は厠と湯殿が面しているだけなので不自然です。図に何らかの誤りがあったと考える方が自然です。

表御殿は存在したか?

『館築城圖』の左半分はお殿様が日中を過ごす「常御殿」が描かれます。さらに、その左側には「表御殿」があったことをうかがわせる注記がありますが、礎石は未発見で謎に包まれています。2ヶ月半の短い工期で館城の表御殿は完成していたのでしょうか。

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『館築城圖』常御殿と思われる建物

この図は藩主が日中政務を執る「常御殿」に相当する建物と考えられます。本図の右側は先に紹介した奥御殿へと続きます。「御逢之間」というのが藩主の日中の居所です。「御逢之間」から「御次」、「鷲之間」を経て「御出座廊下」へと続きます。「御出座廊下」は藩主専用の廊下です。

「御出座廊下」の先は別棟につながり、「金間」、その先に「大広間」があるとされます。また、御出座廊下に並行して「諸役人通廊下」があり、この先も別棟につながっているようです。つまり、この別棟は公式の会見などが行われる「表御殿」に相当する建物だった可能性があります。

松前城の御殿と比較する

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『館築城圖』と松前城御殿

『館築城圖』(上)にはいくつか謎がありました。その一つが「御基子間」という部屋です。お殿様の居所に近く、格の高い部屋であることはわかるのですが、記録にも出てきません。実は、これは写本作成時の誤記で、「御臺子間」が正解です。「台子」というのはお茶道具を置く台のことですから、茶室又は茶室に付属する部屋だと考えられます。

もう一つは「金之間」という魅惑的な部屋です。『館築城圖』では文字でしか現れませんが、松前城御殿の図(下)には表御殿に付随して描かれます。『館築城圖』でも大広間へ続く廊下の先に金之間があるとされていますので、つじつまは合いそうです。

礎石図面と築城圖を現地に配置する

館城礎石配置図と『館築城圖』を幾何補正してドローン航空写真とともに表示します。 礎石配置図はもともと測量図面なので、位置情報は極めて正確です。礎石配置図を利用して館築城圖を幾何補正しました。

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幾何補正して3D化した『館築城圖』と礎石配置図

ishiijunpei.github.io


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