城丘と糠野(ぬかの)
厚沢部町字城丘は厚沢部町でもっとも奥まったところにある(主観的ですが)集落です。厚沢部川対岸の字富里と並んで、行き止まりの集落となっています。
現在の字名「城丘」は、この集落に国指定史跡館城があることから命名されたと考えられます。もともと館城の所在する糠野川右岸の台地上は館城に因む旧字名「城ノ岱」がありましたので、字名「城丘」は旧字名「城ノ岱」を今風に呼び替えたもの、と言えます。
一方、集落名として古くから親しまれている地名は「糠野(ぬかの)」です。城ノ岱はあくまでも館城の所在した台地上の地名であって、集落は糠野川に沿って広がっていました。地域の方々は、今でも「城丘」称して「糠野」と呼びます。
謎の多いヌカノ地名
「糠野」は北海道内に類似地名として「野花南」(芦別市)、「ヌカナン川」(足寄郡足寄町)「糠内」(中川郡幕別町)などがあります。山田秀三は「ノカナンやそれに類した地名が道内の処々にあるが、殆どが意味がわからなくなっていて(後略)」と述べており(山田秀三 1984『北海道の地名』北海道新聞社, p67)、謎の多い地名です。ここでは地名解に対する深入りは避けますが、永田方正は幕別町「糠内」について「nukan-nai(小石・川)」とする解釈を示しています。
地域資源の宝庫「矢櫃」
厚沢部川の支流である糠野川のさらに支流の矢櫃沢は、道南では珍しい硫黄泉の湧く冷泉です。ときどき汲みに行くのですが、1.5リットルのペットボトルに汲んだ冷泉をお風呂に投入するだけで、香りは完全に温泉になります。ただし、浴槽を循環させると故障の原因になりそうです。
矢櫃温泉の詳細についてはlocalwikiに記事を立てていますので参照してください(localwiki厚沢部「矢櫃温泉」)。
矢櫃温泉のさらに奥には矢櫃鉱山があります。昭和初期に金を対象に探鉱され、昭和32年現在は銅を目的として探鉱が行われていたようです(五十嵐昭明 1957「IV 檜山郡厚沢部村地内の鉄・硫化鉄鋼鉱床調査報告」『北海道地下資源調査資料 第30号』, pp: 41-50)。五十嵐報告によると昭和32年時点では探鉱のための坑道が残っていたようです。
最強の地域資源「館城」
字名「城丘」の由来である館城は、明治元年に松前藩によって築城されました。明治元年9月に築城工事が開始され、同年10月下旬には工事は中断されたようです。11月15日に旧幕府軍の松岡四郎次郎隊の攻撃を受け落城しました。
現在は堀と土塁の一部、井戸、御殿の跡と考えられている礎石が残されています。
(三上超順力試し石)
米揚岱
館城の東側に広がる米揚岱は、厚沢部川の水運を利用して館城跡に物資を荷揚げした場所と伝えられています。
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