厚沢部文化遺産調査プロジェクト

北海道厚沢部町の文化遺産や歴史、自然について紹介します。

ぐにゃりと曲がった富栄集落

厚沢部町の富栄集落は、上空からみると大きく湾曲した道路に沿って広がります。ぐにゃりと曲がった富栄集落の謎に挑戦します。

富栄集落のぐにゃり

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ぐにゃりと曲がった富栄集落

富栄集落の草分けは、延宝2年(1674)に津軽から渡ってきた喜三郎だといわれています。喜三郎が富栄に住み着いた4年後の延宝6年には厚沢部川流域でヒノキアスナロの伐採が本格的に始まっていることから、喜三郎もヒノキ山伐採に関わる人物だったと考えるのが妥当でしょう。

富栄集落は、国道227号から大きく北に湾曲した道路沿いに形成されています。直線的に伸びる国道227号からみると、大きく湾曲した富栄集落はちょっと不思議な光景です。どうして、最短距離の直線上に集落を配置しなかったのでしょうか?明治29年の時点で、すでに現在の国道227号に相当する道路はまっすぐに伸びています。

富栄の微地形

富栄集落周辺の標高をおよそ25cmごとに細かく色分けしたものです。

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とても緩やかな尾根上に位置する富栄集落(背景図:基盤地図情報数値標高モデル,OpenStreetMap

ぐにゃりと湾曲した富栄集落は、南側の森の方からのびる、低い尾根の先端にあることがわかります。不思議な「ぐにゃり」は尾根の形状であることがわかります。富栄集落は、全体が標高5〜6mの低地にあるのですが、尾根の先端にあるために、水害の影響が最小限になるのです。

仮に厚沢部川が氾濫しても富栄集落の周辺は最後まで水没を免れると同時に、万が一集落まで水が侵入してきたとしても(過去には何度も水害にあっています)、集落の背後は山手へと続きます。最悪の状態でも、集落が孤立してしまうことは避けられたと考えられます。

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標高6mまで水没させた富栄集落(背景図:基盤地図情報数値標高モデル,OpenStreetMap

富栄集落のお墓

昔の人は、本当に地形をよく観察していたなあ、と感心させられるのが、富栄集落のお墓の立地です。

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富栄集落とお墓の位置

白い点線は微妙な谷地形を示しています。谷地形が富栄の道路と交わるところ(点線丸印)に富栄墓地があります。富栄集落は水はけのよい尾根の縁を選んでつくられているのですが、富栄の人たちは、集落内の小さな谷地形も見逃しませんでした。水はけの悪い谷地形には住宅をつくらずに、墓地として利用しました。

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富栄集落の墓地

このように、土地の条件をよく読んで土地利用を決めていった昔の人たちの知恵には学ぶところがたくさんあります。災害に強いまちづくりのためには、昔からある集落をよくよく観察することが大切だと実感します。


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