厚沢部文化遺産調査プロジェクト

北海道厚沢部町の文化遺産や歴史、自然について紹介します。

赤沼集落の沿革と地名の由来

赤沼集落の沿革

厚沢部町赤沼町は、昭和35年の字名改正で字名の変更がなかった数少ない集落です。赤沼集落の文献上の登場は遅く、管見の範囲では近代になるまで現れません。集落の草分けは陸奥国南部から移住した喜代三とされています。明治19年の『青江理事官諮問回答書 上』(函館市中央図書館所蔵)には以下の記述があります。

該村は萬延年間喜代三なるもの陸奥国南部より移住 鮭鱒漁業を基とし傍ら農業を兼ねたり 爾来続々移住現今人戸二拾三戸あり

万延年間は1860年1861年ですから、赤沼集落は近代直前に成立したことになります。ただし、赤沼神社の創立が明和8年(1771)とされていることと矛盾します。

赤沼集落

赤沼の語源

赤沼(あかぬま)は一見すると和語起源のようにも思われます。しかし、本田貢は「アカ・ヌプ」(尾根の・(間の)原野)と解釈しました(本田貢 1995『北海道地名漢字解』北海道新聞社,p18)。

赤沼地名の広がり

赤沼町旧字名

現在の赤沼町の範囲のうち、赤沼地名(紫色)は赤沼集落の西側に広がります。赤沼神社を中心とした半径およそ300mの範囲です。集落の北東には「観音町」地名が広がります。「観音町」という地名の由来は今のところわかりません。

また「イシナ渕」地名や「カッコ沢」などの地名がみられます。

赤沼集落のはずれは昭和35年の字名改正以前は大字安野呂村(現字滝野)だったようです。大字安野呂村に属する「稲荷屋敷」、「シトンドシ」、「徳三郎岱」などの地名が赤沼集落の東端にあります。

昭和23年航空写真で見る赤沼集落

昭和23年航空写真と赤沼集落

昭和23年米軍撮影航空写真に旧地名を重ねました。河川改修以前の厚沢部川は大きく蛇行し、現在、町営住宅が立ち並ぶ赤沼集落南側の低地には河道があることがわかります。赤沼の語源に「アカ・ヌプ」(尾根の・(間の)原野)を充てることも、さほど無理のあることとは思えませんが、一方で決め手に欠けることも確かです。


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