厚沢部町新町は、役場、消防、図書館・体育館、小中学校がなどの公共施設が密集する厚沢部町の中心地です。一方、旧字名は赤沼、下俄虫、女ノ越、丸山の4つしかありません。しかも大半は下俄虫です。新町はほとんどすべての領域が「下俄虫」となる地名的変化にとぼしい地域です。
新町の地名的変化のとぼしさは、安野呂川対岸の赤沼集落の旧字名と比較するとよくわかります。
新町の中の赤沼
さて、新町の北側、厚沢部中学校のある一角は、対岸にあるはずの「赤沼」地名があります。隣接しているとはいえ、川を挟んで地名を共有することはなかなか珍しいのですが、これは安野呂川の旧河道と河川改修の影響によるものであることが、前出の昭和23年米軍撮影航空写真や大正9年の地理院の地形図からわかります。
もともと、安野呂川の右岸に含まれていた地域が河川改修によって左岸に取り残されてしまったことが「新町の中の赤沼」を生んだ原因だとわかります。
檜山農事試作場
新町を語る上で欠かせないのは明治43年に設置された檜山農事試作場です。檜山農事試作場は、現在の厚沢部町新町のうち、厚沢部町役場からJA新函館厚沢部支店を含む範囲です。檜山農事試作場については過去に紹介したことがあります(厚沢部市街地にある檜山農事試作場の痕跡 、檜山農事試作場とあっさぶ市街地の成り立ち)
また、檜山農事試作場の変遷は次のとおりです1。
撮影年は不明ですが、檜山農事試作場の写真があります[^1]。撮影方向は現在の消防署のあたりから北西側を撮影したものと思います。
この試作場で大正14年から昭和2年にかけて馬鈴薯の試験が行われ、昭和3年に檜山の奨励品種として「メークヰン」が示されました2。
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- 北農会 1971「道南地域における元農事試作場の環境と業態<座談会記事>」『北濃』, 財団法人北農会, pp. 33-48↩
- 北海道農業試験場 1935『協議要録 自大正十五年 至昭和十年』, p43↩