桜鳥説
「あっさぶ」の語源は、「ハチャム・ベツ=桜鳥・川」と言われています(永田1892)。町史のタイトルが「桜鳥」なのも町名の語源に由来します。最初に「桜鳥」説を唱えたのは教育者として知られる永田方正という人物です。永田は著者『蝦夷語地名解』で「厚沢部桜鳥・川の意なり」とあっさり記述しています。しかし「桜鳥」なる鳥がどんな鳥なのか、実はよくわかりません。ムクドリを「桜鳥」と呼称する地域もあるようですが、果たして永田がムクドリを意図して桜鳥と記載したのかはよくわかりません。
上原熊次郎の「紅粉ヒワ」説
永田に先立つ江戸時代後期のロシア語・アイヌ語通訳の上原熊次郎の『蝦夷地名考并里程記』では「厚沢部 夷語ハチャムなり。則紅粉ひわといふ小鳥に似たる鳥の事にて此沢内におびただしくある故此地名ありといふ」と書きました。厚沢部は蝦夷語でハチャムといい、すなわち紅粉ヒワという小鳥に似た鳥のことで、この沢にたくさん生息するためこの地名があるという、と述べます。
東京国立博物館デジタルライブラリー / 《蝦夷地名考並里程記》
紅粉ヒワという鳥は「ベニヒワ」のことと思われますが、上原は「ベニヒワに似た小鳥」と述べていることから、種を特定できるものではなく、小鳥の名称に由来すると述べているものと考えられます。いずれにせよ、ハチャムというのはアイヌ語で鳥を指すものと理解されています。
オヒョウニレを乾す川
もう一つの解釈として「アツ・サ・プ=オヒョウニレの樹皮・乾す・川」があります。オヒョウニレの樹皮はアイヌの衣装「アツシ」の原料として知られており、道内にもこれを語源とする地名は枚挙にいとまがありません。自治体では厚真町、和寒町、厚岸町などが「アツ」地名と言われていますし、字名や旧地名を含めればまさに無数の「アツ」地名があります。近世の記録では厚沢部は「あつさふ」、「あつさぶ」、「厚沢部」、「暑寒」などと記載され、「アツ・サム」などが語源である余地も十分に残されています。
更科源蔵は桜鳥説(ハチャム説)を指して「急にこの説は信じがたいものが有り、むしろ率直にアツサプを受け入れた方に真実性がある(更科1966: 18)」とし、「アトサ・プ(裸・もの)」や「アッ・サ・プ(オヒョウ皮・乾す・川)」を候補に挙げています。
寛文10年(1670)のあっさぶ
あっさぶの名前が最初に現れるのは『津軽一統志巻十』(北海道立図書館デジタルアーカイブ『津軽一統志巻10下』)です。
「あつさふ村 川有 志やも 狄共に入り交り」という短文です(翻刻, 北海道1969: 172)。あっさふ村、川が有り、和人と狄が共に入り混じって暮らしている、というほどの意味です。
余談ですが、「志やも 狄共に入り交り」のような表現は『津軽一統志巻十』に多くみられるのですが、あっさぶ村より南側ではこのような表現がみられなくなります。『津軽一統志巻十』は、寛文9年(1669)に起こったシャクシャイン戦いの翌年に蝦夷地を偵察した松前藩が残した記録です。つまり、寛文10年時点では、厚沢部周辺がアイヌ居住地の南限だったことがわかります。なお、厚沢部のアイヌ村は安政3年(1856)の松浦武四郎『竹四郎廻浦日記』まで確認することができます。
もっとも古い記録である『津軽一統志巻十』で「あつさふ村」が現在の「あっさぶ」に極めて近い音で標記されていることは、300年以上、「あっさぶ」という音には大きな変化がないことを意味しています。なお近世以前の日本語の場合、「ハ」行の音は英語のFに近い発音なので「あつさふ」と表記された場合「Atsusafu」のように最後の「ふ」が摩擦音化していた可能性が高いと考えられます。また、現在は「あっさぶ」のように「つ」の音が促音化(つまる音)していますが、これももともとのアイヌ語が「at-sam」のように「つ」の音が無声音だったとすれば理解しやすいものです。
旧地名からみるあっさぶ
実は、厚沢部町内の旧地名に「あっさぶ」やそれに類する地名はありません。例えば道北の和寒町は「アツ・サム」を語源とする町名ですが、もともとは「六線川」という小河川の名称でした。このように、地名は発祥した場所が比較的限定されているものなのですが、「あっさぶ」の場合、発祥の地がよくわかりません。
昭和35年発行の『桧山郡厚沢部村字名地番変更調書』にみる厚沢部町の旧字名は273種確認できますが、この中に「あっさぶ」の語源に関係ありそうな地名は見当たりません。地名発祥の地を突き止めることが地名研究の第一歩ですから、「あっさぶ」の語源を突き止めることはなかなか難しい、ということがわかります。
厚沢部村旧字名
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参考文献
更科源蔵 1966『アイヌ語地名解ー北海道地名の起源ー』北書房
永田方正 1891『北海道蝦夷語地名解』北海道庁, 復刻版:草風館 1984
北海道 1969「津軽一統志巻第十(下)」『新北海道史』第7巻史料1, pp. 83-200
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